ピンチはチャンスを地のままに生きるわたし♪
いつも読んでくださって有難うございます。
バレンタインデーでチョコを渡した人で、こんどはホワイトデーでお返しが来るのが楽しみな人はいますか?
私は全く期待しない方です。
チョコを渡して、うまくいった経験、ゼロです♪
まあ、私はこれからもわたしは、何事にもチャレンジし続けるのでしょうねえ。
50歳を目前にして、就活してみました。
結果。見事玉砕。
自分のしてきたことが、全く受け入れられなかった!!
相当凹みました。いわゆる、“フルボッコ”ですね^^
なんでもっと勉強しなかったんだろう。
持っている資格と言えばせいぜいいくつかの2、3級の資格。
私はおもいっきり敗者です。努力が足りない。
私はいったい何が出来るんだろう???
いい加減に、適当に積み木を積み上げてきていることに気づきました。
再び思いっきりその積み木をがらがら、がっしゃーんと崩して。
また一から丁寧に積みあげていこう。
意外と積み上げてきたものってなかなか崩せない。
今までいらないプライドで崩せなかった自分がいます。
何かに依存して生きていたら、チャンスはなかなかやってこないと思います。
なぜなら、何かに依存して不安や恐れをごまかしているから。
私は思いっきり敗者ではあるけれど、決して弱者ではありません。
目の前の事に一所懸命していたら、ある日突然チャンスはやってくるものだから。
ずっとその繰り返しで生きてきました。
じゃあ、なぜ今敗者なの?どん底なの?
理由はいくつかあります。
もっとも大きい理由のひとつは私の傲慢さ。
この傲慢さで、数知れずの失敗をしたし、運やツキはおろか、チャンスなんて来るはずないです。
さーてあなたなら、このピンチをどうやって切り抜けますか?
ピンチはチャンスなんです。
これ、本当です。
私が19の頃でしょうか。
奨学金とアルバイトでなんとか生計をたてて、通学していました。
子供のいない叔父叔母のところへ養女へ行くという条件で学費を出してもらって東京に進学しました。(なんでも安易に考えるのはこの頃からだね)
蓋をあけてみると、(世の中そんなにうまくいくわけがない)
叔父叔母は子供に対して理想を持っていました。6大学に行ってほしい(そんな頭脳はなく笑)、5時に帰宅して、犬の散歩をし、食事の後は床拭き、家じゅうの掃除、食器の後片付け、洗濯を全部してほしいと。
私は一所懸命していました。当然のことだと思っていましたから。
しかし、ある日仙台からおばさんが来て、私に1万円を握らせてくれて。
「小間使いさんみたいで。。。頑張って。」
といったその言葉から、私の中の何かが壊れました。
そこからいろいろあり、叔父叔母の家を出ました。
自転車で行ける距離の、下北沢の本多劇場のすぐ近くに風呂なしトイレ共同の2万8千円の物件を借りました。
学校行って、帰りに蕎麦屋でアルバイト。都会は蕎麦やさんが夜のみやさんになるんだよね。田舎者なので、こういう常識もしらず。。
蕎麦やさんはとてもいい方達で。楽しいお仕事でした^^
失敗も沢山しましたよ^^
「ツーフィンガーね」と言われて、2本の指でお酒をかき混ぜたことも笑。
今でもよくその辺は無知のままです。ははは。
家賃2万8千円の家はというと、終電までは窓を開けたODA9線がものすごい至近距離で!!急行かなんか、通過するときは家がふっとぶくらい揺れた~
夜は夜で怪しいベースのおとが。。。。
一応乙女(花の19)でしたのでね。怖かったですよ。
なんと、なんとですね、私はそのODA9線さまから立ち退き料を頂けたのです。
事情を話して「ここに住んだら。」とすすめてくださった、不動産のおばあちゃんに本当に感謝しています。
とまあ、今回も私かなりピンチです。
でも不安ではないんです。ピンチこそチャンスなんです。
皆さんにこれからまた私がピンチからチャンスになったらご報告したいと思います。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございます!
明日は今日よりもっといい日になるはず~