無我 だた、在るということ。
皆さんおはようございます!
酷暑お見舞い申し上げます。
韓国の水害、そしていまだ続くコロナ情勢。
不安かもしれませんが、私にできることは毎日を一所懸命生きることと、 毎日鎮護国家を祈り般若心経を書き続けること。
この世はすべて陰と陽。
私の暮らしのなかでもあかったり、さがったり。ことに天中殺中真っただ中のわたしは、予想だにしないことの連続。
先日、師からの有難い言葉を拝聴しました。
無我 ただ、在るという事の大切さ
無我とは、、、無心であること、我意がないことのほかに、
仏教の根本的な思想「空」思想をいいます。
私が毎日書いているこの般若心経がそれです。
この世のあらゆる事物は現象として生まれ、構築されているだけで、それ自体を根拠づけるような、普遍的なもの、つまり「本質」は存在しないのです。
仏教用語に「諸行無常」という言葉がありますが、この世の中は常に移り変化していくものなのに、私自身が思いこんだ私の考え方、生き方、在り方の「枠」にとらわれて、自分自身を苦しめているのです。
般若心経の中にかかれている「無」は21回。
7月で丸三年ですが約2万2千995回。8月すぎてますので2万3千回以上「無」を下記続けていることになりますね。
ただ、今ここに自分が在るということ。
今日も噛み締めて生きよう。そして目の前の人に心から接していきたいと思います。
先生の動画にくすみかけていた心が洗われました。
感謝感謝です!!