守られているという気づきはありますか? 有は得難し
いつも読んでくださりありがとうございます^^
東洋哲学、2500年前から続いているこの学問知れば知るほど実に奥深いんです。
この世には陽と陰で成り立っている。私自身の暮らしの中でも同じ。
私はとある年月日に、とある宿命を選んで生まれてきました。
帝王になる(人の上に立つ)という、何とも壮大な(想像がつかない)宿命を持っています。
人の上に立つには、様々な試練、経験を乗り越え、痛みを味わう、という英才教育をうけます。
今、まさにいろんな壁を乗り越えつつ、毎日を一所懸命生きているところです。(←大げさな)
大げさ、と言いたいところですが、ところがどっこい、大げさを言っているわけではない、なかなかいい感じの激しい人生を満喫中でございます♪
昔から「世間一般の、ごくごく普通の穏やかな人生を送りたい。」と常々思っておりました。
おかしなことにそう思えば思うほど私の振り子は激しく、大きく振れる現象が起こりました。
陰陽五行という学問に出逢い、般若心経、「空」の世界にもっと触れてみたい、理解したい、と思うようになってからは本当にいろんな事が起こっても、自分の心がおおきくブレないようになりました。
なにより、「自分は守られている」と強く感じるようになりました。
みなさんは「自分は守られている」と気づく瞬間はありますか?
何か心がざわついている日ような日に、よく事故車を目にします。
ほんの数分違っていたら、私がその当事者になっていたかもしれない。ああ、守られているなあ。とご先祖様はじめ、目に見えないものに守られていることを心から感謝しています。
よく、「引き寄せの法則」のような言葉を耳にしますが、これは本当にそうだと思います。
では、「今の私ってどんなだろう???」と考えてみます。
私のばあいでいうと、
- よく人に誘われるようになった。
- よく人に何か頼まれるようになった。
- 頼まれることに一所懸命行動した結果、とても喜んでもらえるようになった。
- 人にとても喜んでもらえるようになった結果、自分の心が満たされるようになった。
- 自分の心が満たされると心地よいので、もっと必要とされる人間になろうと思うようになった。
- どんな人間がもっと人に必要とされるんだろうと、一所懸命人の話を聞くようになった。
- 一所懸命人の話を聞くようになった結果、もっと必要とされる人間になるためにはもっともっと勉強しなきゃ!と思った。
・・・という気づきをいただきました。
駄目な部分も当然あります。自分が言われて心地よい言葉を頂けるのに対して、自分が言われて耳の痛いような言葉がありますが、この言葉をある一定の人の言葉には素直に耳を傾けられるのに、ある一定の人からの言葉にはほぼ「既読スルー」に近いような受け流し方なこと。
いわゆる、聞き流しです。酷いね。これが当分今の課題でしょうか。
お陰様で、本当に私に有難い言葉を下る方が沢山いて、その言葉で今ひたすらに、前進することができているなあとしみじみ感じております。
そんなあたたかいひと達にも私は守られているんだなあと、これまたしみじみ。。。
心の余裕、振り返りが出来るようになったからこその気づきだと思っています。
この気づきと、感謝の心を忘れてはいけないなあと思う今日この頃です。
この世にうまくいくことなんて無い。有自体が難しい。
だから、本当に、有り難うなのです。
最後まで読んでくださって、有り難とうございます~~^^